わたしのダークヒーロー
お鍋の〆に「おうどん」を選ぶか「お米」を選ぶか。その難題に答えを出すことは私には不可能であり、死ぬ間際になってその答えを求められるならこう言いたい。
「それより、ステーキーをお願いしゃらっす!」と
閑話休題。
悪役の同情を買うようなシーンがよくある。
同情を買えば許されるって事じゃない!そんなこと分かってる、媚びるなんて恥ずかしい!
カッコ悪くてしょうがない。
正義と悪は役割をかわりばんこしながら、世界は平和と言うぼかしを入れながら不明瞭な秩序を保っている。
悪の役割は、大罪を犯す事ではなく、平行線を断ち切ることにある。
正義だけの世界ならきっと考えることはなかった「刺激」を悪がもたらす。
正義だけの世界ならきっと平行線を辿るんだ、不自由が何一つないから。
そうすると文明は進化しないのさ。つまらない話だと思わないか?
パンドラの箱は進化を促しただけ、その役割を担ったのが悪だったってだけだ。
人類が退屈で死なないように悪は必要なんだ。
しかし、人類は総じて悪を倒そうとして群れを成す。
その中に「悪」を捉えている人はどれほどいるんだろう。
その中に意思もなく同調した人はどれほどいるんだろう。
悪が同情を買うシーンが増えた本当の意味は、許されるためではなく、本当に悪だったのかを判断するためなんだ。
本当に裁かれるべき人間はいったい誰なんだろう?と。
そう、決めつけてはいけない。
戦おうとする反因子は、必ずしも悪であるとは限らないんだ。
だから、わたしらの否定され意思は悪扱いされた感情は許されるんだよ。
そして、その日を迎えるまで戦えるんだ。
わたしのダークはヒーローなんだ!
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