【考察】アスリートが魅せる本当の力とは何なのか
東京オリンピックも後半へと進む中、増え続けるコロナ感染者の中、「生のオリンピックを味わいたい」と言う身勝手な理由で会場に群れをなす観客。
このままでは、オリンピックが終了した後に、悲惨な結末が待っていることに気づかないのだろうか。その行為が一生懸命頑張ったアスリートの輝きを汚すことになり兼ねない事に気づかないのだろうか。
礼儀正しいと言われる日本人は表の顔、裏では自分勝手でワガママな事を繰り返す。
こういう人の事を「陰湿」と言うんですよね。。。
とは言え、アスリートに罪はない、やるからには全力で立ち向かうアスリート達は、少なからずコロナで苦しむ私たちに「希望」を与えてくれていることには間違いない。
その希望とはなにか、それは「勇気」だと考えています。
アスリートが魅せる本当の力
アスリートが試合に勝つためには、「勝利へ導く一撃」を放ち続ける必要があります。
その一撃には、不安、焦り、迷いなどの雑念がいつも付きまとい、踏み込みを妨げてきます。そう、選択にはいつもリスクがつきまといます。
それは分からない未来の出来事だからこそ考えられるわけです。
そんな未来への選択を最高の結果へ変えるには、その選択を信じて、雑念から解放されることにより解き放たれた力の全てを注ぎこんだ「踏み込む一歩」が必要になるのです。
そして、この力は誰にも想像のつかない力となり、最高の結果へと導いてくれるわけです。この力が「底力」と呼ばれるものです。
しかし、信じると言う気持ちを持つことは難しいです。最悪の場合を想定して動くのが人間であり、最悪の場合を考えた時点で、その気持ちは信じる行為とは別の気持ちへ変わってしまいます。
そこで必要になるのが「勇気」です。
勇気は覚悟です。覚悟は信じるべきものを見定めた時に、生まれる確信ともいえる真っすぐな気持ちです。
勇気を振り絞り覚悟を決め、信じたものだけをただ真っすぐ見据えることで、全ての力がその一点に集中して、想像もしない力を発揮するのです。
私はバレーボールの試合を見る度に、この考え方が確信へと変わります。
そして、アスリートが魅せる本当の力とは「勇気」であると考えてしまいます。
私たちはいつも「勇気」が足りない
上述した「勇気」、一般人である結果を残せない私たちに足りていないと思いませんか。
リスクを恐れ、安寧を求め、楽をして、不変の生活を手に入れようとする。ここに勇気は何一つありません。
そういう人に限って、不満を訴え、記憶に残るモノがなく、年老いていくだけになっていないでしょうか。
そして、成し遂げたことがないせいで、子供に伝えられるものがなく、ただただ「勉強をしなさい!」と言い続けているだけではないでしょうか。
書きながら自分を自虐していると思ってしまいました。笑
ただ、事実であると考えています。
観戦者側に座ってしまうのは、まだ、早いのではないのでしょうか。
「勝つ」ために必要なのは「力」「知恵」「勇気」です。