均衡こそがストレス発散
SNSが普及する時代。
私達の取り巻く世界がさらに閉鎖的になり、共感だけで生きていける時代になってきた。
共感しあえる仲間との繋がりは、いつだって楽しいし、否定されることもなく、否定されたとしても支え合える人がいる。
世界中と繋がれるSNSは、こう言った起因も相まって人気を博している。
しかし、これは閉鎖的な世界への第一歩。
この世に善と悪があるように、共感もあれば反発もあるのが、あるべき姿であるはず。
悪・反発と言ったネガティブは、必ずしも悪影響だけであったと言えるのだろうか。
彼らは、私達に新しい価値観・考え方を教えてくれるだけでなく、それが悪い事であるか考えるきっかけも与えてくれているのだ。
そのきっかけを糸口に知った世界もあったのではないだろうか。
悪・反発こそ「刺激」なのである。
刺激は体に何らかの影響を与え、抗体を作ることも有れば、化学反応で新しいモノをつくることだってある。
これこそ、視野を広げるルーツになるのである。
共感は既存の価値観を高めるだけに過ぎない、その先は知らないようで知っている世界にしかならない。
共感は楽だし居心地が良い。しかし、そこが自分にとっての本当のゴールかと言われたら、おそらくそうではないだろう。
私達は共感を好むのにも関わらず現状に満足せず、異国の世界に、新しいモノに憧れるのは、反発の表れなのかもしれない。
プラスとマイナスの均衡こそが世の中の在り方であるように、共感と反発の均衡こそ私達の人生なのだと思う。
そう、あなたがストレスを溜めているのは、実はこの均衡が保たれていないからだと言ったら、
信じてくれるだろうか。
退屈・マンネリが共感に支配された姿であり、教養・挑戦こそ反発に支配された姿であるとそう考えるなら、
ストレス発散は反発することにあるのかもしれない。